李健熙氏の死を受けて弔問会場に入る李在鎔氏(25日、ソウル市)=聯合ニュース
韓国サムスン電子の中興の祖、李健熙(イ・ゴンヒ)会長が死去し、長男の李在鎔(イ・ジェヨン)氏が名実ともに巨大財閥のトップとなる。在鎔氏は「優秀な人材が私より重要な地位でサムスンの事業を導く仕組みを築く」と明言し、創業家以外への分権を進める。その体制でも、強みだった素早い経営判断ができるのか。サムスンの針路を探る。
健熙氏の死去から一夜明けた26日、弔問会場となったソウル市内のサムスン病院には丁世均(チョン・セギュン)首相や現代自動車の鄭義宣(チョン・ウィソン)会長ら政財界の要人が次々と弔問に訪れ、故人との別れを惜しんだ。
会場の入り口には報道陣のカメラが陣取り、弔問に訪れた人々に次々とマイクを向けた。韓国の経済成長をけん引した最大財閥の総帥死去に対する社会の関心の高さがうかがえた。
健熙氏のグループ統治の担い手は、参謀組織である未来戦略室(旧会長秘書室)だった。自身は基本的に出社せず、自宅などで側近から事業の報告を受けていたという。経営の意思決定の際には複数案を提出させて、どれが最善かを自分なりに研究し考えを整理する。複雑な半導体なども含め、様々な事業で十分に理解して自らの判断に自信が持てると、トップダウンで指示を下した。
ただ、数人で物事を決める側近政治はひずみも生んだ。健熙氏が日常的に接するのは一握りの側近だけ。未来戦略室の力は社内外で肥大し、健熙氏と現場の距離が広がった面もある。
父親の経営スタイルを長く見てきた在鎔氏。未来戦略室が推し進めた、自身へのサムスングループの承継手続きに関連して不正を働いたとして、2017年に逮捕され約1年間収監された。裁判で在鎔氏は「地に落ちた企業家、李在鎔の信頼をどう取り戻すか途方に暮れている」と話した。
経営に復帰した後は社内のガバナンス(企業統治)改革に乗り出した。裁判官に促されるという形ではあったが、弁護士など外部委員らで構成する「順法監視委員会」を設置してグループ内の法令違反の有無を調査。20年5月には健熙氏から自身への承継に関し「法と倫理を厳格に守れなかった」として、国民への謝罪会見まで開いた。
その場で、自身の子供への世襲も否定した。「立派な人材を迎え入れ、私よりも重要な地位で事業を導いていくようにしていく」と語り、健熙氏が登用した幹部への権限委譲をさらに進める方針を表明した。健熙氏とは異なり、自ら世界中の事業所を飛び回ったり、社員食堂で従業員と食事を共にする姿を内外に発信したりするなど、現場との距離を縮める姿勢も示している。
ただ、現場の声に耳を傾けることで迷いも生じる。19年10月に13兆1千億ウォン(約1兆2千億円)を投資すると表明したテレビ向け次世代パネルで、開発投資の判断が遅れているのだ。量産技術が難しいほか市場ニーズも変わっているとして、量産計画の変更を検討している。柔軟な姿勢とみることもできるが、競争が激しいパネル産業で「意思決定の遅れは命取り」(サプライヤー)との声がある。
権限委譲や現場重視の姿勢では、韓国財閥の競争力の源泉ともいえる迅速な意思決定とトップダウン型の組織運営が機能しなくなるリスクもある。健熙氏が育てた半導体やスマートフォンなど有力事業が収益を生んでいる間に、52歳の在鎔氏は自身の経営スタイルを固める必要がある。
サムスン電子の業績は半導体メモリーやスマートフォン、テレビなど世界首位の事業が収益を生み堅調に推移する。ただ、競合もM&A(合併・買収)などでサムスンを猛追しており、中長期では新事業の育成が必要となる。病に倒れた父親に代わり李在鎔氏が実質トップとなって6年。次代の稼ぎ頭はまだ十分に育っていない。
在鎔氏はバイオ医薬品のほか高速通信規格「5G」、人工知能(AI)、車載部品、半導体受託生産の5つの分野を「未来成長事業」と位置付ける。
父、李健熙氏が2010年に次代の柱に据えたバイオ医薬品は成長軌道に乗ったものの、19年時点の年間売上高はまだ1000億円に届かない。17年に過去最大の80億ドル(約8400億円)で買収した米自動車部品のハーマンインターナショナルは、既存事業との相乗効果が見えず収益も伸び悩んでいる。
スマートフォンやテレビなど特に中国メーカーの追い上げが激しい分野では急速にコモディティー(汎用品)化が進んでおり、5年後も現在の収益力を維持できるかは不透明だ。名実ともにサムスントップに就任する在鎔氏には10年、20年後を見据えた事業構成の変革が求められている。
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