Saturday, April 18, 2020

ポルシェはフラット4推しではなかった? ボクサーエンジンの歴史② - マイナビニュース

ポルシェはフラット4推しではなかった?│ボクサーエンジンの歴史②

この記事は『ボクサー・エンジンの栄枯衰退│フラット4エンジンの進化』の続きです。

すべて英国で設計されたものとしては、1899年のフレデリック・ランチェスターの自動車が最初の例である。彼の水平対向4033ccエンジンは非常に特徴的で、向かい合ったピストンは逆向きに回転する2本のクランクシャフトに2本のコンロッドで結ばれていた。奇妙な形式ながら、素晴らしくスムーズに回転するエンジンだったという。さらに驚くべきはシリンダーにはバルブがひとつしかなく、吸気と排気バルブ両方の働きをしていた。1901年には英国のウィルソン・ピルチャー社が、先進的な水冷フラット4エンジンをフロントに積んだクルマを発表。1904年にはフラット6仕様も完成したが、今では4気筒のものが一基だけ残っている。
 
アメリカではヘンリー・フォードが自動車界の巨人になるべく初めてのステップを踏み出していた。1901年、ワンオフの「スウィープステークス」レーサーは、ボア7インチという巨大な水平対向2気筒(593cu-in=9.7リッター!)を積んでいた。フォード初の量産車は1903年のモデルAだが、エンジンは101立方インチ(1668cc)のフラットツインで、さらにモデルCとFも同様のボクサーエンジン車だったが、1908年に発売された伝説的なモデルTは直列4気筒を積んでいた。
 
20世紀に入ると、フロントに搭載された直列あるいはV型のマルチシリンダーエンジンが自動車界では一般的となり、フラット4はまるで冬眠に入ったように姿が見えなくなった。しかしながら、フラットエンジンは航空機用として適しており、その歴史は現在まで続いている。


1901年、ウィルソン・ピッチャーは" 静粛で無振動"の水冷フラット4をフロントに積む先進的なクルマを発表した。1904年にはフラット6も加わった。

ブラッドフォード出身の鍛冶屋にして才能あるエンジニアだったジョウエット兄弟は、当時一般的だったものより優れた小型車エンジンを製造するという野心を抱き、1901年に会社を設立、何度か失敗を繰り返した後、1910年にようやく彼らは、十分なトルクを持つ816cc水冷フラットツイン搭載のライトカーを発売する。そのフラットツインはジョウエットが自動車生産を中止する1953年まで、"ブラッドフォードバン" のパワーユニットとして生産され続けていた。それはまたもっとも長く作られた英国製エンジンでもある。

ジョウエットがフラット4 に手を染めたのは1935 年になってからだが、第二次大戦で生産が休止されるまで作られたそのエンジンはフラットツインほどの人気が出なかった。保守的なジョウエットのユーザーは古いが頑丈で扱いやすいツインを好んだのである。
 
第一次大戦前から戦後にかけては、フラット4の人気が下がるいっぽうでフラットツインあるいはVツインエンジンが軽量サイクルカーや二輪車のエンジンとしてヨーロッパ中に増殖した時代だった。文字通り数百ものメーカーが生産していたが、1909年に発売されたモーガン3ホイーラーはその中でも最も長く生き延びたクルマである。米国ではフラットツインエンジンで駆動される洗濯機が、電気が引かれていないへき地で重宝されたという。

大戦の間の時代で世の中にもっとも大きな影響を与えたツインシリンダー車は・・・

本記事は「ClassicPORSCHE」から提供を受けております。著作権は提供各社に帰属します。

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