札幌のスーパーで、道路に面した駐車場のクルマが無人のまま動き出し、車道へと進み出してしまう様子を映した他車のドライブレコーダーの動画が、ネットニュースで注目されたことをご存じだろうか。
あわや走行中のクルマと激突、という場面でドラレコ車両のドライバーが駆け付けて止め、事無きを得た。その後、店内から自分のクルマが動いていたことに気付いた高齢ドライバーが現れてクルマを止め直したらしい。
おそらくこの高齢ドライバーは、駐車時にパーキングブレーキを使わず、Pレンジにシフトしてエンジンを停止させるだけなのか、Nレンジにシフトしてパーキングブレーキを使わなかったことから、道路の傾斜で自然発車してしまったようだ。
高齢ドライバーによる操作ミスの一例ともいえる事件だが、そもそもPとNの違いについて、理解しているドライバーは意外と少ないようだ。Pはパーキング、すなわち駐車時に使用するものだと理解しているだろうが、それならNレンジは何のために存在するのだろうか。
そもそもクルマは、エンジンをアイドリングさせながら動力を伝えない状態を変速機内部に作る必要がある。それは信号待ちや、昔は暖機運転でエンジンや変速機、駆動系を温めて、オイルの粘度や部品同士のクリアランスを適切にしてから走行するためだった。しかし環境保護や燃費軽減のため、暖気運転はゆっくり走行しながら行う暖気走行が一般的になっているから、現在ではPやNレンジを暖気のために利用することはない。
例えば傾斜地での駐車など、パーキングブレーキだけでは拘束力が足りないシーンもある。この時、マニュアル車であればエンジンを停止してからギアを1速あるいはリバースに入れておくことで、エンジンの抵抗をブレーキとして利用できる。
ATはトルクコンバーターを介してエンジンに連結しているので、ロックアップクラッチが機能していない状態ではエンジンの抵抗は使えない。そもそもAT内部のギアも多板クラッチが油圧ゼロではつながらない(逆に作用するクラッチ機構もある)から、AT内部をロックしてパーキングブレーキの補助として利用する機構が必要なのだ。それがPレンジの役割だ。
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Nレンジの役割は時代によって変わってきた
ではNレンジはどういった時に必要となるのか。整備工場などでメンテナンスする時に、エンジンのテスト運転をするためには、停車してアイドリングを続けたり、空吹かしなどを行ったりすることもあるが、これはPレンジでもできることだ。ATの脱着や分解組み立ての際には油圧はゼロになっているので、そもそも電子制御で油圧をコントロールしてシフトしているATではニュートラルにする必要はない(というか自然にニュートラルになる)。
信号待ちではNレンジにシフトするのか、Dレンジのままがいいのか、という論争もかつては存在した。しかしその後アイドリングストップが普及したことで、この話題もあまり取り上げられることはなくなった。
ところがカタログ燃費がJC08からWLTCへと移行したため、アイドリングストップ機能のカタログ燃費に対するアイドリングストップの影響は小さくなったこともあって、このところアイドリングストップ機構を採用しないクルマも増えてきた。
燃費の面からいえば、これはDレンジのままの方がいい。Nレンジの方がエンジンの負担が少なく燃費が良さそうなイメージだが、Nにシフトすると回転が上昇することから燃費軽減効果はあまりない。さらにDレンジのままの方がエンジンに適度な負荷がかかり、燃料の消費が抑えられるケースも多い。
またDからN、NからDへのシフトによってAT内部の多板クラッチが磨り減ることも抑えられるので、Dレンジのままの方が総合的に考えてエコなのだ。
停車時にDレンジのままでもAT内部で動力を切り離す、ニュートラルコントロールという機構を採用しているクルマもあったが、これはトラブルの原因にもなったため、近年はほとんど採用を見かけなくなった。もっとも巡航時に動力を切り離すコースティング(滑走状態)を利用しているクルマは欧州車にはまだあって、これは制御面でいえばニュートラルコントロールと同じモノで、メカとしての信頼性を高めて採用している。
車両故障の際のけん引時にはPレンジでは動かせないし、N以外のレンジでは駆動抵抗が大きくなってしまう構造のATもある。ほとんどのATは駆動輪を路面に設置させたままのけん引では、低速でけん引するよう指定されているが、それはエンジン停止時にはAT内部の制御や潤滑を行うATFの油圧が失われるため、潤滑不良によってダメージを受けることを防ぐためだ。つまりNレンジ以外でもけん引をするケースは有り得るが、けん引は基本的にNレンジで行うのがルールだ。
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Nレンジが役立っていることを感じない訳
Nレンジには、実はそれよりも重要な役割がある。それは現在のATのシフトパターンで考えた時、RレンジとDレンジの間にNレンジが設定されていることだ。つまり、RとDを隣り合わせにすることを避けることで、シフトミスを防ぐことができるのである。
Nレンジの位置にPレンジを設定すれば同じことでは、と思われる方もいるかもしれないが、Pレンジは機械的なロック機構が働くので、前後進を繰り返して方向転換するスイッチバック操作の際に微低速で動いている状態でPレンジにシフトしてしまうと、ロック機構が働いてしまい、ロック機構そのものが壊れてしまう可能性も高まる。
ドライバーから見て一番奥がPレンジ、その1つ前が後退用のRレンジ、そして前進用のDレンジとの間にNレンジを配置するのは、実に合理的なのである。
例えば走行中にエンジンブレーキを効かせようとDよりも低速側のギアにシフトして走行した後で、シフトアップしてDレンジにシフトする際、勢い余ってもう1つ先までセレクターレバーをスライドさせてしまっても、Nレンジであれば実害は少ない(駆動力が無くなってしまうので車体が不安定になるくらいだ)。
車速が高ければRレンジやPレンジまでシフトしてしまっても、ECUが判断して実際には切り替わらないように制御するが、車速センサーがエラーを出したり、寿命になったりするケースもあり得る。あらゆるケースを想定して、自動車メーカーは可能な限り安全なクルマを作り上げているのである。
ちなみにスイッチバックの際には、キッチリとクルマを停止させてシフトするのが従来の常識であったが、便利過ぎるクルマをユーザーに提供し続けた結果、スーパーやショッピングモールでの駐車の際には、微低速で動きながら前後進を切り返すドライバーが非常に多い。
そうした操作を行っても、ATが壊れないようにさまざまな対策を施し、耐久テストも行って品質を確保しているのが、日本のクルマたちなのである。輸入車でも同様の品質を確保していると思われているが、実はそれらも変速機は日本のメーカーの製品であることも多いのだ。
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変速機は進化して存続しても、Nレンジは消滅か
現在の日本においてはマニュアル車は極めて少数派で、ATが9割以上と圧倒的な主流にあるが、クラッチのない2ペダルのクルマといっても、変速機の構造にはさまざまなモノがある。
遊星ギアを用いた一般的なATから、金属コマを薄板ベルトで連結させたCVT、マニュアルミッションの平行歯車式変速機を2つのクラッチで分担することで駆動力が途切れず自動変速を可能にしたDCT、マニュアルの変速操作を自動化したAMTなどが主だった自動変速機(AT)である。
中でも遊星ギアを何段も組み合わせたATは世界的に主流で、高い工作精度が求められることから、日本の得意分野の1つとなっている。ちなみにトルコンATという表現をよく見かけるが、正確にはトルクコンバーターはATではなくクラッチ機構であり、CVTにも搭載されている。
そしてガラパゴス変速機とまで呼ばれたCVTだが、ジヤトコはついに伝達効率を大台の90%に乗せてきた。その加速フィールや静粛性、耐久性などもかなり改善され、その変速比幅とコストから国際競争力を身に付けつつある。
一方で、ボタン式のATセレクターも増えてきたことから、Nレンジの役割は電動化と共に薄らいでいる。EVが主流になれば、変速機は存続してもNレンジは消滅し、かつてあった操作系として思い出のデバイスになっていくことだろう。
筆者プロフィール:高根英幸
芝浦工業大学機械工学部卒。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。これまで自動車雑誌数誌でメインライターを務め、テスターとして公道やサーキットでの試乗、レース参戦を経験。現在は日経Automotive、モーターファンイラストレーテッド、クラシックミニマガジンなど自動車雑誌のほか、Web媒体ではベストカーWeb、日経X TECH、ITmediaビジネスオンライン、ビジネス+IT、MONOist、Responseなどに寄稿中。近著に「ロードバイクの素材と構造の進化(グランプリ出版刊)、「エコカー技術の最前線」(SBクリエイティブ社刊)、「メカニズム基礎講座パワートレーン編」(日経BP社刊)などがある。企業向けやシニア向けのドライバー研修事業を行う「ショーファーデプト」でチーフインストラクターも務める。
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からの記事と詳細 ( シフトレバーの「N」はなぜある? エンジン車の憂うつと変速機のミライ - ITmedia )
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