DOHC 4バルブの先進性
直列6気筒DOHC 24バルブという、デビューした1969年春の時点では超ド級のスペックを持っていたS20型エンジン。今日ではベーシックな軽でも1気筒あたり4バルブのDOHCエンジンを積んでいるが、当時の日本ではDOHC(1気筒あたり2バルブ)というだけで神々しい存在だった。なにしろ搭載車は「ホンダS800」にトヨタの「2000GT」と「1600GT」(すでに在庫販売となっていた)、「いすゞ117クーペ」の4車種のみ。そのうえに1気筒あたり4バルブとなれば、量産市販車では日本はもちろん世界でも皆無だったのだ。
そのS20型は1966年に日産に吸収合併されたプリンスが開発して1965年にデビュー。翌1966年の第3回日本グランプリ優勝を皮切りにレースで活躍した日本初のプロトタイプスポーツである「プリンスR380」(日産とプリンスの合併後は「日産R380」)が搭載していた純レーシングユニットであるGR8型をベースに量産化したものだった。
GR8型は直列6気筒DOHC、カムギアトレインの24バルブ1996cc、初期型(R380-1)ではウェバー42DCOEツインチョークキャブレターを3連装して最高出力200PS、ルーカスの機械式インジェクションを備えた最終型(R380-A3改)では250PSを発生したという。注目すべきは、当時のレーシングユニットの最新トレンドだった1気筒あたり4バルブを採用していたことである。
DOHC 4バルブ自体は、すでに1912年にプジョーがグランプリマシンに採用しており、決して新しい技術ではなかった。しかし、その後自動車用エンジンでは長らく使われていなかったのだが、1960年代になって再び脚光を浴びた。先がけとなったのはホンダやフォードのレーシングユニット。ホンダは1950年代末から二輪のグランプリマシンに採用しており、その流れで1964年に参戦開始したF1用1.5リッターV12 DOHCエンジンにも4バルブを導入。いっぽうフォードも1964年からインディカー用にDOHC 32バルブの4.2リッターV8ユニットを投入した。
ちなみにF1で通算155勝を挙げた伝説の名機である3リッターV8 DOHCユニット「フォード・コスワースDFV」のデビューは1967年だが、その名称であるDFVは“Double Four Valve”の略。“Double”はF2用の1.6リッター直4 DOHCの「FVA」(Four Valve type Aの略)を2基合体させたことを意味しているが、いずれにしろ名称にうたうくらいだから、4バルブが大きな特徴だった。
GR8型の燃焼室は多球型でバルブ挟み角は60度。その後のレーシングユニットの常識となった、革新的な狭角(FVAは40度、DFVは32度)のペントルーフ型燃焼室を採用したコスワースと比べると、一時代前の設計であることは否めない。とはいえ欧米のスペシャリストや二輪ではすでに世界を制していたホンダと遜色ない時期に、初めてレーシングユニットを手がけたプリンスが4バルブを導入したことは興味深いと思うのだ。
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